松本城の歴史、変遷、そして救済の物語

日本の城はその国の歴史、文化、伝統を反映しています。

その中でも、松本城はその美しさと堅牢さで特別な存在とされています。

この城は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて築かれ、今も昔の姿を保っています。

しかし、その歴史の中で、松本城が失われる危機に直面しました。

それが明治維新の時代です。城や歴史的建造物の多くが破壊される中、松本城もその例外ではないかと思われました。

本記事では、松本城の豊かな歴史を探求します。

深志城としての出発から、烏城としての発展、さらには幕末から明治時代の危機まで、松本城の歴史は日本の歴史と深く結びついています。

お城博士
特に、市川量造と小林有也の活動によって、この貴重な国宝が救われ、現在も多くの人々に愛され続けているんじゃ。
助手
本記事で、松本城の壮大な物語を旅してください。武将、大名、そして城の守護者たちの勇敢な努力を通じて、松本城の持つ重要な意義とその保存の重要性を深く理解していただけるでしょう。

松本城の歴史!深志城から烏城へ

右から乾小天守、大天守、辰巳附櫓、その手前に月見櫓 2013年(平成25年)
右から乾小天守、大天守、辰巳附櫓、その手前に月見櫓 2013年(平成25年)wiki

松本城は長野県松本市に位置しており、その前身は深志城です。この城は、長野県松本平に築かれた平城で、黒い外観から烏城とも呼ばれます。

安土桃山時代末期から江戸時代初期に建造された天守は国宝に指定されており、城跡も国の史跡に指定されています。

松本城は、国宝指定された5城のうちの一つです(他には姫路城、犬山城、彦根城、松江城があります)。

信濃の守護、小笠原氏一族がかつて在城していた深志城は、1550年に武田晴信(信玄)によって奪われ、武田氏の東北信濃への進出の拠点として利用されました。

武田氏滅亡後、木曽義昌が織田信長の援助を受け、深志城と城下町を領地としました。

1582年、本能寺の変後、小笠原長時の長男・貞慶が徳川家康の後援を受けて故地を回復し、松本城と改称しました。

石川数正と松本城!転封、改築、と城主の変遷

豊臣秀吉の小田原城攻めの後、天正18年(1590) に徳川家康の関東移封に従って、小笠原貞慶の子秀政は下総に所替えとなりました。

その際、松本城には石川数正が入封しました。

石川数正は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名で、徳川家康の片腕として活躍しました。小牧・長久手の戦いの後に出奔し、豊臣秀吉に臣従しました。

『長篠合戦図屏風』(成瀬家本)より石川伯耆守康昌(数正)
『長篠合戦図屏風』(成瀬家本)より石川伯耆守康昌(数正)

彼は深志城主10万石となり、信濃松本藩の初代藩主とみなされています。

数正は、河内源氏の八幡太郎義家の六男・陸奥六郎義時の三男の義基が石川源氏・石川氏と称した一族出身です。1533年、石川右馬允康正の子として三河国で誕生しました。

数正とその子の康長は、松本城の大規模な改築に着手し、1594年には大・小天守とそれをつなぐ渡櫓が完成しました。

そのため、松本城天守は現存1天守の中で最古の建物とされることもあります。

お城博士
康長はこの後、改易され、小笠原秀政が入封したんじゃよ。
助手
大天守、乾小天守といった天守の建造年には諸説あり、はっきりと定まってはいないことも指摘されています。

松平直政の時代から明治維新まで

秀吉の小田原城攻めの後、1590年、小笠原秀政は下総に移されました。その後、石川数正が松本城に入りました。

1633年には、戸田(松平)康長が城主になり、その後、松平直政が城主となりました。

松平直政の時代に、松本城は大改築を受け、今の形になりました。

松平直政は、結城秀康の三男として1601年に生まれました。秀康が亡くなると、異母兄の忠直の保護を受け、後に直政と名乗るようになりました。

松本城には、大天守と小天守があり、それに辰巳附櫓、月見櫓が増築されました。

堀田氏、水野氏も城主を務め、最終的には戸田松平氏が城主となりました。明治維新は、戸田松平氏の9代光則の時に迎えました。

松本城は、三重の堀と複雑な天守群を持っています。大天守と小天守は、関ヶ原の戦い前に造られ、戦時の設計が反映されています。

一方、辰巳附櫓と月見櫓は、松平直政によって増築され、平和な時代を反映しています。

松本城の外壁は黒漆塗りで、アルプスの山々を背景に美しいです。城の周りには、千歳橋や大名町通りなど、史跡があります。

これらの場所は、城の痕跡を追いながら歩くのに良いです。現在、外堀の南面と西面の復元工事が進行中で、全国でも珍しい事業です。

松本城の守護者!市川量造と小林有也の尽力

傾いた天守(明治時代)
傾いた天守(明治時代)

明治維新後、松本城の天守は壊される危険にさらされました。1872年には、城が競売に出されました。

その前にも、城の門や櫓は次々と撤去され、天守も放置されていました。しかし、市川量造と小林有也の助けにより、城は救われました。

市川量造は、長野県会議員で、松本城を競売から買い戻した人物です。

彼は、松本城がなくなれば松本の町が衰退すると考え、新聞でそのメッセージを伝えました。

量造は、博覧会を開いたり、自分の蔵書を売ったりして、お金を集め、城を買い戻しました。

小林有也は、大阪府出身の教育者で、東京物理学校の創立者の一人です。

お城博士
松本城の修理のために、寄付を募ったんじゃ。彼の努力によって、1885年から1913年の間に、天守の修繕工事が行われたんじゃよ。
助手
この二人のおかげで、松本城は今も昔の姿を保っています。今では、松本城は日本の国宝として、多くの人々に愛されています。

まとめ

時代 イベント・人物 説明・詳細
室町時代 深志城 松本城の前身。小笠原氏一族が在城。
戦国時代 武田晴信(信玄) 1550年に深志城を奪取。
戦国時代 小笠原貞慶 1582年、松本城と改称し、城と城下町を領地とした。
安土桃山時代 石川数正 1590年に松本城に入封。大規模な改築を行い、大・小天守と渡櫓を完成させる。
江戸時代 松平直政 松本城を大改築。辰巳附櫓、月見櫓を増築。
明治時代 城の破壊の危機 明治維新後、城の門や櫓が撤去され、天守も放置される。
明治時代 市川量造 競売から松本城を買い戻し、保存活動を行う。
明治時代 小林有也 1885年から1913年の間に、天守の修繕工事を行うため寄付を募る。
現代 松本城の保存 国宝として多くの人々に愛され、観光スポットとしての価値も高い。

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